2018-05-23
画僧雪村
昔、奧州田村領の大田村に、いつのころからか高貴な旅の僧が来て、庵を結び移り住んでいた。
この僧は、書画をよくし、自ら和紙を漉き、里人たちに団扇、凧絵などを描いて与え喜ばれていた。
この画僧は、常陸佐竹氏ゆかりの雪村周継であった。雪村の漉く紙は「雪村紙」といわれている。
やがて数年過ぎたある年の暮れ、雪村は病気になり、里人の快復の願いも空しく、十二月三十日、ついに入寂された。里人は、矢島川の大きな丸石を選んで墓碑として祀ったという。
今も近くの人々は、春秋の悲願には香華をたむけて参詣し、また亡くなられた「暮れの餅つき」を忌み、代々にわたって、正月に入ってから餅をついたといわれる。
今、雪村庵といわれる庵が残り、その裏に墓碑といわれる自然石が残されている。
西田町 会田敏春
『郡山の伝説』
昭和61年3月10日発行
監修 東洋大学教授・文学博士 大島建彦
発行 郡山市教育委員会
編集 郡山市教育委員会社会教育課
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