鹿島大神宮について

鹿島大神宮

 

鎮座地

福島県郡山市西田町丹伊田字宮作239番地

 

御祭神

武甕槌大神(健御雷之男大神) ―たけみかづちのおおかみ―

 

御鎮座

天應元年9月15日(781年) 茨城県鹿島神宮より勧請する。

 

由緒

古来日本には、磐座、磐境の信仰があり、当地のペグマタイト巨岩も御神体として崇められていた。
一の鳥居向かいの児童公園に往時の祭祀遺跡が見つかっている。

天応元年9月15日、安積郡大伴安積連丸古部古佐美によってこの地に常陸国鹿島神宮が勧請され、この巨岩が神社の御神体として信仰された。
清和天皇貞観8年紀に『常陸国鹿島郡神宮司言大神之苗裔神38社陸奥国』の一社に数えられた。

 

来歴

当地は上代安積郡丸古郷に属し、丸古部の族人が占居して新田を起こし、丹伊田の地名が起こる。

田村氏の居城が三春に移ると共に、重臣田村頼顯の三男顕成が新田館(現在の黒鹿毛山)を築き、本朝武神の当社を崇敬。

正保2年 三春城主秋田俊季公が大祭を斎行し、以来秋田公累代の祈願社として崇敬。
天和元年 社殿火災 秋田盛季公が再建のため金一封、剣、鏡を奉納。
天和3年 社殿落成 秋田公紋章奉納。
寛保3年 秋田頼季公祈願、田五百歩、畑六百歩を寄進。
天明5年 秋田千季公心願状、天明の飢饉の祈願。
寛政5年 秋田季禮公が鹿島大明神の額面を奉納。

 

神紋

天和3年 社殿落成に際し藩主の信仰を祈念するため、秋田公御紋章を彫刻して奉納し、以後当社の神紋とする。

神紋 鹿島大神宮

 

社格

当社は往昔鹿島大明神と称したが、元治甲子年2月神祇官長吉田家に請い鹿島大神宮と称する。
明治元年鹿島神社と改め、明治4年郷杜に列す。同13年より社殿の改築を行い、同15年竣工。
同16年福島県より認可を受け鹿島大神宮と称し、大正7年2月指定郷社となる。

神額

 

文化財

国指定天然記念物

ペグマタイト岩脈(昭和41年文部省指定)

ペグマタイト

ペグマタイト

郡山市指定文化財

絵馬 曳馬図 弘治2年(1556年)

文化財

絵馬 祭礼図 文久2年(1862年)

絵馬 祭礼図

絵馬 障子絵馬 養蚕安全祈願

 

太々神楽

毎年春季大祭・秋季大祭に、鹿島大神宮神楽保存会による神楽の奉納が行われている。
由緒は諸説あるが、江戸時代に奉納された祭礼図にも、今に伝わる狐面などが描かれている。

太々神楽

以下、現在の上演とは異なるが、記録のため前宮司渡辺好邇の文章を引用掲載する。

     鹿嶋大神宮の太々神楽

1、名 称
「鹿島さまの十二神楽」又は郷社の神楽」と云っている。

2、種 類
出雲流の太々神楽である。

3、所在地
郡山市西田町丹伊田字宮作239 鹿嶋大神宮

4、上演される月日
鹿嶋大神宮春秋の祭礼の日、4月15・16日、9月15・16日に神楽殿で行われていたが、現在は拝殿で上演されている。

5、調査の概要
大字丹伊田地区(東荒井・西荒井・舘・曲田・堺・平光内・甲森・万歳光内・上石堂・宮作・仲田・大久保)の氏子数は、147戸あり、15歳から25歳の長男から撰ばれたものが神楽を行っている。撰ばれた者は旧正月中に郷社に集って、3日乃至5日間それぞれ分担された種目を練習した。楽人も兼ねて練習を積んだと云う。
現在は、全種目をあげることが出来ず「御神囃子」「幣舞」「二本扇」の3曲のみ上演されている。神楽殿を使用しないで拝殿で上演している。
古老の話によれば、この太々神楽は丹伊田字高屋敷の村田喜八郎氏が、明治の中期の頃中田村海老根(現郡山市)から伝授されたといわれる。
明治末期が神楽全盛の時であったといわれ、舞木の二社権現に依頼されたり、郡山の開成山大神宮に奉納したり、熱が入った太々神楽を演じたという。
本神社に各年の「鹿嶋大神宮太々神楽勧行帳」が丹伊田楽人一同と記し残っている。明治代の勧行帳は整理して見あたらないが大正9年以降の勧行帳は一まとめにしてある。
大正9年の勧行帳が、第23回目の勧行であり、昭和38年が第66回目の勧行である。これを逆算すると第1回目の勧行は、明治31年にあたる。
勧行帳には、勧行した演目と上演者が記されている。全種目が上演されるのが原則であるが、原則通り出来ないときは、二座でも三座でも上演するものと云われ、まつりには「岩戸開楽」と「宇賀」は必ず上演しなければならないと古老は語っている。だが現在は原則はもちろん「岩戸開楽」「宇賀」さえ上演出来ず、「御神囃子」幣舞」「二本扇」の三座を細々ながら上演している状態である。

6、演目と囃子
1、天地開闢
2、御神囃子
3、國 堅          下り羽
4、二本扇          乱上
5、鎮悪神          下り羽
6、岩戸開楽 児屋根の神    下り羽
大玉の神          下り羽
手力男           岩戸楽
宇須女           四ツ
7、献饌祝楽
8、白 杖          五ツ
9、鹿 島          下り羽
10、諏 訪         下り羽
11、大太刀          七ツ(御神囃子)
12、小太刀          七ツ(御神囃子)
13、宇 賀         下り羽 不明 下り羽
14、幣 舞         乱上
15、小 弓         七ツ(御神囃子)
16、信 夫         七ツ(御神囃子)
17、事代主         四ツ
18、日本武尊        下り羽
19、大和姫         四ツ
20、風 車         不明
21、猿田彦         下り羽 吾妻崩し 下り羽
22、大国主         下り羽 不明 下り羽
23、大 麻         乱上
24、大 延         不明
25、燈明楽         四ツ
以上の25種目からなっている。

7、楽 器
大太鼓(火焔太鼓)1人・ 大拍子1人・鼓2人~3人・笛3人~4人

8、神楽面
全部で17面ある、この神楽面は伝授されたものでなく、この鹿島大神宮が三春藩主秋田候の祈願所であったが、三春城下に祈願所ができたので祈願所を解かれた折りに、三春で使用してた神楽面を貰ってきたものといわれている。又衣装も戴いたという、その衣装も戦後盗難にあって紛失した。
17面の神楽面のうち、鐘馗面一面がまじっているが、古老の話によれば、この鐘馗面は太々神楽伝授以前の「地神楽」の面であるという。
丹伊田でも有志が個人的に習って行っていたものといわれているが、現存の古老たちも話には聞いているが、その「地神楽」を見たものが無く明治中期には中絶している。

9、参 考
古老の話によればこの鹿嶋大神宮の太々神楽は前述したように、明治31年田村郡中田村海老根より伝授と聞くが、神楽研究の権威の高い早大教授本田安次先生著「神楽」の安達の太々神楽の項に「松沢(白岩村)で演じているのは、もと田村郡阿久津村(現郡山市)の神主村上安一郎氏が奈良の管長富田先生なる人より、伊勢流として伝授されたものを最初田村郡高野村丹伊田の鹿嶋大神宮に伝へ、次に来てこの松沢村に伝へたものと云う」とあり、この伝承が丹伊田の鹿嶋大神宮のものか、西田町土棚地区にも太々神楽が行われてので、確認しなければわからない、確認を要する事項である。

本調査書は、昭和38年頃郡山市の歴史研究者が調査した文章を写したものであります。文中疑問に思われる事項が有りますが、原文のまま作成しました。 鹿嶋大神宮 宮司 渡邉 好邇
(平成15年7月5日)

境内社

八坂神社 祭神 素戔鳴命、櫛稲田媛命、八神御子
蚕養神社 祭神 天照皇大神、保食神、稚産霊神
多賀神社 祭神 伊邪那伎命、伊邪那美命

 

鹿島大神宮 境内