2018-05-23
茶たて婆様
昔、鹿島神社の前の道を、少し行ったところに集会所があり、その側に堀があり、そこに一人暮らしの婆様が住んでいたという。
婆様は、通る人ごとに
「お茶をたってござれ、お茶をたってござれ」
といって、まつわりついた。
ある日、午後十時ごろ、三春の殿様から二本松の殿様のところへ行く飛脚がそこを通ると、やはり、いつものように
「お茶たってござれ」
と婆様はいった。
夜で暗く、しかもその場所は淋しいところで、それに婆様の何ともいえぬ気味悪さに耐えられなくなり、飛脚は抜き打ちにした。婆様は真っぷたつになったという。
その飛脚は、用をすまして帰る途中、
「昨夜、ここで人をきったはずだが」
と尋ねると、皆は
「知らない」
というし、死んだはずの婆様の姿もそこにはなかった。
二、三日過ぎ、近くの阿弥陀様が、何もしないのに割れていたという。その婆様は、阿弥陀様が化けていたのだといわれている。
その場所は現在、「茶たて湯」として残っている。また、阿弥陀様は石仏となって残されていると伝えられている。
郡山市史 民俗資料カード
『郡山の伝説』
昭和61年3月10日発行
監修 東洋大学教授・文学博士 大島建彦
発行 郡山市教育委員会
編集 郡山市教育委員会社会教育課
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