2018-05-23

天沢寺

昔、西田町丹伊田に、天沢寺というお寺があったという。

この寺は、曹洞宗で十六ヶ寺の本寺であった。寺の宗祖である道元禅師から八代の法孫宗峯覚秀大和尚が文中三年九月二十五日に遷化して、小屋館山麓の伊勢沢に建立したという。

田村氏が没落した後、三春の平沢に移り、それからすぐ三春の会下谷に移った。その後、寛永六年十一月に、現在の清水に移ったという。

寺の什宝として、岩城判官政氏の末裔、陸奥守正道の子である医王丸の守り本尊、地蔵菩薩があったという。また六つの坊舎があった。

「岩城旧記」という本によれば、「磐前の住吉村の住吉館は、野田の玉川より四丁ばかり経ててあるために、玉川城というと。」

岩城判官政氏は、その館に住んでいた。

政氏の奥方は、三春黒沢庄五郎の娘であった。政氏は、建久年中に、陸奥守となったが、国政をおこたり、重臣村岡重頼と一緒に逆謀を企てた。

しかし、忠臣大村は、逆意を知り政氏の奥方と万寿姫それに次女の小笹の四人で北越へ逃げようとした。

まず、この地まで来て、祖先の因縁が深い地であるとして、地蔵菩薩を安置し、政氏の裔、岩崎右衛門三郎隆頼に守護を頼んだという。

隆頼の墓は、丹伊田の西荒井にあるが、碑文は判読できないという。

西田町 岩谷文輔

 

『郡山の伝説』
昭和61年3月10日発行
監修 東洋大学教授・文学博士 大島建彦
発行 郡山市教育委員会
編集 郡山市教育委員会社会教育課

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