2018-05-22

南陽寺

昔、西田町土棚の内出に、南陽寺というお寺があったという。

貞観年中に、田村古哲が円珍法師を招いて開山した、天台宗の寺院であった。

その後、弘安年間に聖山法人という人が住み、田村政顕の命によって、国家鎮護を祈った。そのため、この地は政顕により平定されたので、寺領として田を五町賜ったという。

また、天文年中に、橋本明則が高野城を改築したとき、累代の菩提を弔うため、大和国高山より、祐応法師を招き、それまで円珍が祀った地蔵菩薩をかえて、阿弥陀如来を本尊とし、東高山延寿院と称したという。

また、永禄八年に南陽寺と改称した。明則の子、定則が天正五年、明則の十三回忌を供養するために、再び大和の高山より惣音法師を招いたが、寺もそのとき再建したという。

明治二年十月二十八日、火災に遭い全焼してしまったので、再建はせず檀家などは、真福寺へ移ったという。

西田町 岩谷文輔

『郡山の伝説』
昭和61年3月10日発行
監修 東洋大学教授・文学博士 大島建彦
発行 郡山市教育委員会
編集 郡山市教育委員会社会教育課

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