2018-05-20
若祓平
西田町土棚にある。
昔、橋本顕氏が田村清顕より、二本押を命じられたとき、天正八年、鬼生田弾正が死亡した機会をうかがい、高倉城主である畠山近江守は、田村氏の領である川東を攻略しようとした。
顕氏は、それを知り機先を制して近江守を攻め、大勝した。
そのとき、ここに休息したことからその名がついたという。
そこには、檀(まゆみ)の木があって、当時の戦死者を弔ったと伝えられている。
字は檀の根という。
高野郷土史
『郡山の伝説』
昭和61年3月10日発行
監修 東洋大学教授・文学博士 大島建彦
発行 郡山市教育委員会
編集 郡山市教育委員会社会教育課
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