2018-05-20

鬼生田

桓武天皇の時代、地獄田という田で、ひとりの男の子が生まれた。

その子は、死人が出ると這い這いしてまでも死体を見に行ったという。

七才ごろになると五尺(約百五十センチメートル)もある立派な身体の持ち主になった。

そして、墓をあばいて死人を食べたり、暴力をふるったりするようになったので、親も恐れてその子を殺そうと考えるようになった。

子どもは、それに気づいて家出をしてしまった。

子どもは、何年か経て大滝根という所に住み、滝根丸と名乗るようになった。

そして、手下を大勢ひきいて、旅人や土地の人を襲って暴れまわっていた。

村人たちは、滝根丸のことを、
「あいつは、まるで鬼だ。鬼のようにおそろしい」
と噂しあった。

滝根丸も自分のことを
「俺は鬼だ」
と名乗るようになり、ますます悪いことをするようになった。

このように鬼が生まれた田ということから、鬼生田という地名になったという。
滝根丸の勢力が強くなってきたので、桓武天皇は、坂上田村麻呂を征伐に向かわせた。

そこで滝根丸とその一味は、田村麻呂に亡ぼされたという説と、田村麻呂に追われて、紀州の熊野に逃げたという説があり、今でも、鬼生田の人たちは、熊野権現に参拝すると、しるし(魂がのりうつる)がおこると恐れて、参拝しないという。

郡山市史 民俗資料カード

『郡山の伝説』
昭和61年3月10日発行
監修 東洋大学教授・文学博士 大島建彦
発行 郡山市教育委員会
編集 郡山市教育委員会社会教育課

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