2018-05-18

首切山

西田町鬼生田に、曲泉院という法師がいたが、鬼生田館の館主鬼生田弾正顕常と意見があわなかったために、顕常に首を切られた。

それからは首切山と呼ばれるようになったという。
その下を流れている小川は、首を切られたおもいにより、想川といわれていたが、今は重川に変わっている。

西田町 三本菅栄

『郡山の伝説』
昭和61年3月10日発行
監修 東洋大学教授・文学博士 大島建彦
発行 郡山市教育委員会
編集 郡山市教育委員会社会教育課

タグ: ,
関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です