八坂神社
御祭神 素戔鳴尊(すさのうのみこと)・櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)・八柱御子神(やはしらのみこがみ)
本社は京都市東山区祇園町鎮座の八坂神社で、祇園祭で有名な神社。疫病除けの神様。近隣ではキュウリ天王祭りで有名。
蚕養神社
御祭神 天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)・保食大神(うけもちのおおかみ)・稚産霊神(わくむすびのかみ)
本社は、会津若松市の蚕養國神社で、養蚕の神様。衣食住の神様
八坂神社・蚕養神社の御社殿について
八坂神社・蚕養神社の御本殿は、東京都江東区潮見町2丁目の林野庁「ウッディランド東京」内に鎮座していた藤森稲荷神社の旧本殿を譲り受け、平成13年に移築したものです。
そもそも藤森稲荷神社は江戸時代幕府の材木方御材木蔵に祀られていた神社で明治以降は、宮内省帝室林野局貯木場、戦後は林野庁東京営林署貯木場を経てウッディランド東京と所管が変わり、所在地も本所横綱町(現墨田区、江戸初期から享保19年まで所在)から深川猿江町(現江東区、享保19年から昭和52年まで所在)そして江東区潮見二丁目(昭和52年以降)と移り変わりましたが、四百年余にわたり木材作業に従事する人々の篤い信仰をうけてきました。
しかしながら平成13年に林野庁の機構改革により「ウッディランド東京」が閉鎖されることになり、藤森稲荷神社を故地猿江町の氏神である猿江神社境内に規模を大幅に縮小して遷座することになったため縁有って当鹿島大神宮が旧本殿を譲り受け、蚕養神社・八坂神社の御社殿として移築したものであります。
移築した御本殿は、戦後の建築にかかるものですが、当時木材関係者が肝入りして造営しただけあって大変立派な御社殿であります。
江戸時代より木材の守護神として、木場貯木場の堀端に祀られていた神社が、杉木立に囲まれたこの神域に移されたことに、奇しき御神縁を感ずるものであります。
平成14年3月16日 鎮座奉告祭斎行宮司 渡 邉 好 邇
多賀神社
御祭神 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)
本社は、滋賀県犬上郡多賀町鎮座の旧官幣大社の多賀大社
伊勢神宮の御祭神である天照皇大神様の親神様で、寿命長久・病気平癒・縁結びの神様。
白石山天満宮
御祭神 菅原道真公(すがわらのみちざねこう)
学問の神様。京都の北野天満宮か九州の太宰府天満宮が有名。北野天満宮が本社と言い伝え在り。
神楽殿
参道の杉
樹齢約400年の杉は、文久年間に描かれた「祭礼図」にも鬱蒼と描かれている。
平成21年に「鹿島大神宮のスギ」として福島県の緑の文化財に指定された。(平成21年2月3日 592号)
石灯籠
絵馬「神馬図」
1556年(弘治2年)に奉納されたこの絵馬は、福島県内で現存する最古の絵馬である。
絵の構図や描写から見て絵馬絵師の描いた絵馬であると見られるが、年号は後から奉納者によって書かれたものと推測され、その書体から一般庶民の奉納になるものと思われる。
縦51㎝、横90㎝の家型で、画面中央には二人の神官が曳く神馬を配し、右上に神馬を奉納した神社の鳥居と拝殿の一部が描かれている。
剥落が進み一部不明な点はあるが、画面上部には雲がたなびく松林を、右下には松の木を描いている。
画面の左端に、「弘治二丙辰年九月吉辰」と奉納年月が明記されている。九月吉辰とあるから、あるいは秋祭りを祝して奉納したのかもしれない。
この絵馬は県内最古の絵馬であるというだけでなく、中世における絵馬奉納という庶民信仰を知る上でも極めて貴重な絵馬である。
郡山市指定重要有形民俗文化財
祭礼図
文久4年(1864)に描かれたこの献額は、百余年前の旧社殿及び当時の風俗を描写している。
春秋の大祭では現在でもこの祭礼図に描かれたのと同じのぼり旗が掲げられているが、参道を進む田楽様の芸能は今は伝えられていない。
二の鳥居左奥に見える小さな黒い社は、今もそのままに鎮座する白石山天満宮であろう。
三春藩主秋田候の祈願社であった頃のにぎやかな秋季大祭の様子が偲ばれる。
祭礼図
神楽面
鹿島大神宮太々神楽で今も使われる神楽面は、三春藩主秋田候の祈願社を解かれた折に頂戴したものと言われている。
17面残されているが、現在では使用されていないものも多い。
鹿島大神宮太々神楽 神楽面
障子絵馬
養蚕の盛んだったこの地域で、養蚕の安全を願って奉納された絵馬の一種。
タカやヘビなど、カイコを狙うネズミを食べてくれる動物が障子紙に描かれており、鹿島大神宮には数十枚が保存されている。
障子絵馬とは、この地方だけに伝わる、障子に版画で刷られた珍しい絵馬です。養蚕が盛んだった頃に、蚕が無事に育って立派な繭となるよう願いを込めて飾られました。
氏子さんは、その年の養蚕が始まるときに、鹿島大神宮の境内にある蚕養(こがい)神社から障子絵馬を受けていきます。そして養蚕が無事に終わると、マユ団子を作って蚕養神社にお供えし、絵馬をお返ししたそうです。
養蚕とともに絶えてしまった風習ですが、鹿島大神宮にはまだ数十体の障子絵馬が残されています。
神額
元治甲子年2月神祇官長吉田家に請い神道裁許状を受け、鹿島大神宮と称した。
御神額には「神祇道管領卜部朝臣民義」の文字がある。
近年拝殿を改修した折に郡山市福山の業者に頼み、文字等を修復した。
授与品ご紹介(一部)※詳しくはお問い合わせください
ペグマタイトのお守り
古来日本人は、清浄な白い岩には神様が宿ると考えて信仰してきました。
御社殿奥のペグマタイトも、鹿島大神宮が今から千二百三十余年前に当地に御鎮座される以前より、地域の人々に信仰され、崇敬されてきました。皆様のご健康とご幸福を祈念してお祓いしたペグマタイトの小石が御守袋に入っています。
障子絵馬(しょうじえま)
鹿島大神宮に残された障子絵馬は、この地方だけに伝わり、今は絶えてしまった、境内社蚕養神社の古い信仰の形です。
この障子絵馬に、新しい願意を込めて「鹿島大神宮の子育て豊年障子絵馬」を頒布いたします。
子育て木馬に見守られた子どもたちがすくすく育ちますように。そして皆さまの人生が実り豊かなものでありますように
福を呼ぶ神楽面—えびす—
古くから伝わる鹿島大神宮の太々神楽で使われる神楽面です。高柴デコ屋敷大黒屋の当主、橋本彰一さんにお願いして張り子に作っていただきました。
「笑う門には福来たる」
恵比寿様の円満な笑顔がみなさまの家内に福を呼び入れてくださいますように
御朱印帳
鹿島大神宮の御朱印帳は、ご神体でもあるペグマタイト岩脈をイメージして作りました。
布張りの生地は、群馬県桐生市で織られた桐生織です。
金糸と銀糸のみで織り上げている砂子という生地で、見る角度や光によって色合いが変わります。
表紙には「鹿嶋大神宮」、裏表紙には「御朱印帳」と金糸で刺繍してあります。
中紙はクリーム色がかった鳥の子和紙です。
表紙裏にはペグマタイト岩脈の版画がついています。